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ノーシューズ・ノーマネー

ノーシューズ・ノーマネー


私と姉は、子供の頃、よく家から追い出されていた。聞けば、私のダンナも、子供の頃、追い出された記憶はあるそうだが、「最後に追い出されたのは、小1くらいで、それ以降はなし。追い出された合計回数は、片手で十分たりる。靴は、ちゃんと履いていた」というのだ。

いっぽう私と姉の場合は、「小1~小3が全盛。追い出され回数・多数。靴なし」と、はるかに条件が悪い。私たちが追い出される原因となった事は、100パーセント、ピアノ関連といっていい。小学生の頃は、ピアノの練習がいやでいやでたまらなかった。で、母・よしこに怒られながら、仕方なく、ピアノのイスに座る日々が続いていた。

時々、あまりのやる気のないピアノの音色をききつけると、何の予告もなく、よしこが猛烈な勢いでキッチンからダダダーッと飛んできた。「そんなにいやなら、もう弾かなくていい! 出て行きなさい!!」という言葉とともに、あっという間に玄関の外につまみ出された。よしこがキッチンから飛んでくる瞬間、いつも私は、反射的に“マズイっ!”とピアノの脚にダッコ人形のようにガバッとしがみつき、「弾きます!弾きます!今からちゃんと弾きます!!」と叫び、難を逃れようとした。が、時すでに遅し。よしこは、容赦しなかった。

当時、私の家族は、4階建ての社宅の3階に住んでいた。ピアノの練習を夕方していたこともあり、だいたい、追い出される時間は、もうすぐ日も落ちる夕暮れ時が圧倒的に多かった。ただ追い出されるだけなら、それほど大したことではなかったと思う。が、私たち姉妹の場合は、靴さえ履く猶予もあたえられず、猛スピードで、外へポイっ。これがどーして、苦労の種だったのだ。

私たち姉妹は、“靴がない”ということは、これからどういう事を強いられることになるのか、お互い、よーくわかっていた。だから、暗黙の了解の中、追い出された方には、“なるだけ靴を提供しよう”という、協定みたいのが結ばれていた。が、この協定、いかんせん、その日の私たちの姉妹仲、そして、何と言っても、よしこの怒り度に左右される、かなり不安定なものだった。それでも、追い出された後は、その“たよりない協定”だけを頼りに、玄関のドアのヤクルトボックス(新聞受けの下に、ヤクルト置き場のようなボックスがドアにはめ込まれていた)をパカパカ開けては、チャンスをうかがった。

私が追い出された場合、だいたい姉は、それから直ちにピアノのイスに座り、いつもとは明らかに違う、きびきびとした音でピアノを弾く。その音色がふっと止まった時、その時こそ、ヤクルトボックスを開けるべき瞬間だった。

姉が奥の部屋のふすまを開け、玄関の前にフーッと現れると、私は小声で、「りか(姉のこと)ちゃ~ん、りかちゃ~ん、くつー、くつとって~。」とささやく。もし、気付いてもらえれば、「ありがとね~!!」ヤクルトボックスから靴を受け取れるのだ。この時ほど、“姉妹ってありがたい!!”と思う日はなかった。心から姉に感謝したものだ。

が、時に、姉にそうささやくと、奥の部屋にいるよしこが、その気配に気付き、「りかちゃん!こっちに来なさい!玄関、電気消して、ふすま閉めときなさい!靴なんか渡さなくていいわよ!」という声に、姉は、「は~~い!」。あんな軽やかな声を、いったいどこから出せるのかという程、姉は、ここぞとばかりに、ヤケに素直な返事を返し、電気をパチッ。ふすまをパンッ。おかげで、玄関は真っ暗になった。あの時ほど、姉妹なんて本当にあてにならないと思った日はなかった。

しかし、大変なのはここからだ。夕暮れ時というと、そろそろ社宅の子供たちが家に帰ってくる頃であり、お母さんが買い物から帰ってくる頃であり、お父さんだって、ちらほら家に帰ってくる頃であった。社宅には、私と同年代の子供たちが、わんさかいた。“裸足”で、何事もなかったように装うことはできない。でも、“できれば、何事もなかったことにしたい!”そういうお年頃だった。

だから、下から“トントントン”と誰かが階段を上がってくる気配を感じたら、私は人目を避けるように、裸足のまま、ペタペタぺタっと猛スピードで階段を駆け上り、屋上の踊り場の所で息をひそめていた。が、そこには、真っ黒いこうもりたちが天井にぺタッとはりついていた(もちろん、こうもりが居たのはこの時だけ)。おそろしくてずっといられないし、いつ、なんどき、よしこのお情けで鍵が開くともわからないし、いつ、姉が改心して、私に靴を渡す気になるかわからないし。結局、私は追い出された際の定位置である“自分の家の玄関前”に、人気がなくなるのを確認して、すぐに戻っていった。

その後も、上から“トントントン”と誰かが階段を降りてくる気配を感じると、私は猛スピードで階段を下り、1階の郵便ボックスが置いてあるスペースの奥に座り込んで隠れていた。そう、まるで、忍者のようだった。が、この忍者、上から“トントントン”、下から“トントントン”とはさみうちに合うとお手上げだ。もう、笑うしかない。

今思えば、追い出されたときは、ピンポーンピンポーンとずっと鳴らしていたり、ドアをドンドンドンドンとけたたましく叩いていたので、社宅の人も、「あっ また。」と感づいていたに違いない。ジタバタすることなんてなかったと思うけれど、突然つまみ出され、裸足でヒヤッとする冷たいコンクリートの上に立たされた者にしかわからないであろう、あの何ともいえない“心もとなさ”と“焦り”が、当時の私を上に下に走らせたのだった。むろん、姉も走っていた。

子供に携帯やGPSを安全のため持たせようという今を考えると、追い出されていたあの頃は、平和だったのかもしれない(とは言え、今、この時代に私が子供だったとしても、もちろん、よしこは、私をつまみ出しているとは思うけれど)。

それにしても、あの時、グレなかったのは、靴がなかった事と、ポケットに少しのお金も入っていなかった事に尽きると思う。家の玄関の前をウロウロするよりほか、どこにも行く事ができなかったのだから。立場変わって、自分の子供を追い出す機会がある時は、“ノーシューズ・ノーマネー”。これだけは、きっちり、よしこから引き継いでいこうと思う。

 
P.S.


ちなみに、姉は私が靴を渡してあげると、その瞬間から、スタコラサッサとご近所のおばさんちに遊びに行っていた。ノーマネーなので、おなかがすいても駄菓子屋さんには行けないが、シューズがあれば、近所のおばさんちに堂々と行ける。おばさんたちはみんな親切で、ごはんを姉にごちそうしてくれることもあった。家に帰って来ると、「今日は枝豆がおいしかったよ、アイスクリームももらった」と、うれしそうに語っていた。みじんの反省もなかったと、私は記憶している。

 

高木千春

高木千春

福岡生まれ。行正り香の1つ違いの妹。「ちはるのお笑い日記」執筆中。

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